親の持病が悪化し、死期が近づいている。
親の死にどう向き合っていけばいいのかな。
子供自身が後悔しない死の迎え方はあるのかな?
私もちょうど10日前に最愛の母を亡くしたばかり。
けれど、すごく気持ちは穏やかなんだ。
この記事では心理カウンセラーが実践した、後悔しない親の死の迎え方をお伝えするね。
ただ、万全を尽くしたとしても後悔は湧き出すもの。
親の死後、後悔という気持ちを浄化していくことも大切だよ。
この記事を書くのは心理カウンセラーであり、心理学×未来予測ブロガーのゆめです。
私自身が最愛の母を子宮頸癌で亡くしたばかり。
享年60歳でした。
「まだ若いのに…」
色んな方々からそう言われる中、死という大きな出来事を経験した私の心は不思議なほど穏やかです。
それは心理カウンセラーとして、親の死を感じた時から「後悔しないため死の迎え方」や「後悔を浄化する死後の過ごし方」を徹底していたからです。
- 後悔とは何か
- 後悔しないため死の迎え方4つ
- 後悔を浄化する死後の過ごし方4つ
死。
それは重く、辛く、苦しく、痛く、悲しい。
「死」という言葉にはそんなネガティブなイメージがつきまとうものです。
それが最愛な親なら、なおのこと。
私自身が最愛の母を子宮頸癌で亡くしたばかり。
ここまで身近な人の死に向き合ったのははじめてですし、私自身、これまで死というものを非常に恐れていました。
ただ、「生きる」ことを願う母の側で、「死」ということを私は頭の片隅で考え続けていました。
親の死を考える。
これは酷いことではなく、その時が訪れても、事態を受け入れるための心の準備としてとても大切なことです。
親の死期が近い。
そんなあなたに向けて、後悔しないための死の向き合い方を綴っていきます。
心理カウンセラーとして、どのように親の死と向き合ったか。
この記事は私の実録でもあります。
親の死と後悔の関係
「親の死」と検索をすると、必ずと言っていいほど「後悔」という文字がセットになって登場します。
- 愛していると伝えればよかった
- 名前の由来を聞いておけばよかった
- もっと実家に帰ればよかった
- 写真をとっておけばよかった
親の死という経験と共に、たくさんの後悔という思いが子供の中に残っています。
後悔とは、文字の通り、起きてしまったことを「後」から「悔」やむことです。
けれど、悲しいことに時間は取り戻せません。
また後悔は過去の自分を責めてしまうことでもあります。
後悔を抱いたままですと、子供であるあなた自身が「あの時」の自分を責めたまま、その後の人生を過ごさなくてはいけません。
病も死も、本当は誰のせいでもないのに、死を受け止める側の子供が後悔によって自分を責めてしまうことは最も悲しいことです。
誰も自分を責めなくていいよう、親の死の前、そして死の後も親を看取る子供の心ケアを実践していく必要があります。
親の死期が近づいたら行うこと
親の死期が近い。
そう感じたら「後悔しないため死」を迎えるために、次の4つのことを行っていきましょう。
- 死と向き合う
- 死を念頭において、今やれることをやる
- 感情を我慢しない
- 積極的に人に頼る
それでは、それぞれのことを掘り下げていきます。
後悔しないため死の迎え方1:死に向き合う
親の死期が近いと感じたら、例え親が生きる意思を捨てていなかったとしても、「死」というものを念頭においておくとよいでしょう。
私の母は最後まで「病を治す!」という強い気持ちを捨てませんでした。
病気ではない私が圧巻させられるほど、強い信念を貫いていました。
「私は絶対生きる!」
そう宣言する人の横で、「死」を考える自分自身を酷いと感じることもありましたが、今思い返すとそれは酷いことでも何でもありません。
「親の死」というものをきちんと念頭におくということは、与えられた時間を親とどう過ごしたいのかを真剣に考えることでもあります。
- まだ時間はたっぷりある
- いくらでも対話できる
- 旅行だっていける
未来に希望を持つことも大切なのですが、それが希望的観測であった時、残された時間をどう過ごしたいかということをあまり意識ができなくなってしまいます。
有限である時間に目を向けることで、親との向き合い方そのものも変わっていきます。
向き合い方が変わると、親にかける言葉一つ一つが丁寧になり、行動も変化していくのです。
後悔しないため死の迎え方2:死を念頭において、今やれることをやる
きちんと死を念頭においた上で、今、親に対して精一杯やれることをやっていきましょう。
「愛している」「ありがとう」「あなたの子供でよかった」など普段なら気恥ずかしいと感じる言葉を積極的に伝えてもいいでしょう。
食べさせてあげたいものや親が望むものを作ってあげてもいいでしょう。
親の望みを積極的に叶え、親孝行をたくさんしてあげてください。
私自身も、預かったお金を惜しまず使い、肌触りのいいシルクのパジャマや寝たきりでも腰が痛くない低反発のマットレスや枕を買いました。
さらに、コーヒーゼリーが食べたいと言えば、取り寄せで1つ1000円する高級なものを買いました。
母の「美味しい」という言葉一つで「ああ、よかった」と思えるのです。
会社には都合をつけて、リモート時は実家で看病をしながら過ごしました。
一緒に過ごす。少しでも対話をする。
「自分が後悔を残さないために」ということも意識し、親との時間を過ごしていきましょう。
後悔しないため死の迎え方3:感情を我慢しない
全ての人ではないかと思いますが、死期の前は、本人の不安や苦しみも大きくなっていきます。
私の母は、モルヒネもあまり効果が出ないほど癌の痛みで苦しんでいました。
ベッドで悶える姿を見ながら、「もう楽にしてあげたい」と何度も思いました。
そんな時、「死にゆく人の前だからこちらが気丈に振舞わなければ!」という思いも出てくるかと思いますが、その気丈さを始終保っていようとした時、あなた自身の気持ちの糸が切れてしまいかねません。
- 弱音を吐く
- 共に泣く
など、感情のシェアや死を受け入れる側の感情浄化も怠らないようにしましょう。
また、感情を親とシェアした時、双方の気持ちが楽になるということがあります。
自分の身に置き換えて考えて欲しいのですが、辛い時、「頑張って」と励まされるより、そっと寄り添って隣で泣いてくれる方が救われたという経験はないでしょうか?
実は、感情の最大の浄化とは励ましより「共感」なのです。
辛い時、苦しい時は共に泣き、その自分の内側の気持ちも一緒に浄化させてあげてください。
弱音を吐くこと、泣くことは、共にそれを味わってあげる優しさでもあるのです。
後悔しないため死の迎え方4:積極的に人に頼る
死期が近い時、1日24時間でも足りないほど、慌ただしくなっていくことがあります。
「そっと眠るように逝った」というのは理想でもありますが、病の進行によって死を迎える場合はなかなかそうもいかないものです。
そんな時は、積極的に人を頼ってみましょう。
親族・パートナー・友人に状況を伝えれば、必ずといっていいほど「何か助けになれることはある?」という返事が返ってきます。
「助けになりたい」と思ってくれている人に「助ける」機会を与えてあげるというのも実は優しさです。
あなたのために、そして相手のために、人の助けを受けてみましょう。
私は、具体的な看病は実際助けとして頼む余地はなかったのですが、母のために暖かなケープを用意して欲しい、手紙を書いて欲しいなどをお願いしました。
また、私自身の支援をお願いしました。
パートナーには日常の家事を全て負担してもらい、その結果、看病から離れている間、私自身のケアに時間を使うことができました。
そのように、負担を分け合うことで、親を支える側や親を支える子供を支える側などの支え合いの輪を築くことができます。
その輪に生まれるのは暖かな感謝の気持ちしかありません。
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